ETCに見えた思惑

先日、遠出をするために車を借りました。
家族旅行で伊豆が目的地です。 

もちろん高速を使ってのドライブですが、久しぶりだったからか、ETCカードが壊れていて反応しません。
それでも、何とかなるだろうと高速の入り口を目指しましたが、最寄りの入り口はETC専用レーンだけで、入ることが出来ませんでした。
そう言えばCMで見たことを思い出しましたが、現在首都高はETC化を進めており、現金が使える料金所は少数のようです。

しかし、車載のナビでは複雑な条件設定ができず、提示されたルートは高速か下道かの2種類のみ。
久々で自信のない運転です。
疲労の蓄積とうっすら腰も痛い。
その日は、朝からトラブル続きでメンタルも不安定。

強行してもこれは事故る。
車は無理だと判断し、泣く泣く電車での移動に切り替えました。

ETCへの移行は、人件費や効率化等の削減の一環かもしれませんが、それがないとかなりの不便が強いられます。
利用は制限されるし、料金も高くなり、使わないデメリットがどんどん大きくなる。
事実上は半ば強制です。

このデジタル化の構図は、マイナンバーカードも同じでしょう。
例えば、マイナンバーの保険証化ですが、切り替えないと不便になるようにシステムが改変されていきます。
そして、便利を強調し、ないと不便が大きくなっていきます。
携帯電話を契約する際の身分確認証をマイナンバーオンリーにしようとする動きもありますが、それも事実上の強制の一環です。

便利の裏には必ず何かがあります。
そして、便利と引き換えに、自由は失われていきます。
これらの思惑の裏にあるのは管理・監視社会です。
AIの登場によってそれが安易になりました。
国民の行動や思想、資産を管理し、コントロールする。

陰謀ではありません。
私たちは気付かなくてはならないのです。