便利の先には何がある?

人間はすでにサイボーグかもしれません。

私達にとって、スマホはもう当たり前のツールです。
持つのが当たり前で、持っていないと逆に驚かれる時代。
私自身も、スマホがない生活はもう考えられません。

そう考えると、スマホはすでに身体の一部です。
ないと逆に落ち着かない。
電車等の待ち時間にすることがなくて手持ち無沙汰になってしまう。
身体の一部であるとともに、もはやスマホ依存症とも言えるかもしれません。

今後、スマホがないという生活は、よっぽどのことがない限り、ありえないでしょう。
スマホは、もっと身近なデバイスに形を変え、本当の意味で身体の一部になる日が来るかもしれません。

しかし、これは果たして幸せなのでしょうか。
もちろんスマホの便利さはよく分かりますし、私も恩恵に預かっています。
けれど、スマホの普及はここ10〜20年の話です。
以前は、それがなくても社会は回り、キチンと生活も出来ていました。

スマホは社会を便利にしましたが、その反面、不便になったこともあります。
仕事においては何時でも連絡が取れるようになり、オンとオフの切り替えがしにくくなりました。
また、仕事の量もデバイスの進化によって、20年前の何倍にも増えています。
物事のスピードがどんどん加速しています。

便利は幸せをもたらすもの。
私達は今までそう思い込んでいましたが、今、スマホが存在しなかった、のどかな時代がうらやましくは感じないでしょうか?
不便ではあるけれど、何事にもおおらかで、不便を楽しんでいた時代…。

もう逆戻りはできませんが、物質的な便利とは本当に幸せなのだろうかと、ふと考えてしまうのです。