認識で広がる世界
肩こり。
今でこそ当たり前の言葉ですが、夏目漱石が門という小説の中で使ったのが始まりです。
「指で圧してみると、首と肩の継ぎ目の背中へ寄った部分が凝っていた。」
それまでは、肩が張るという表現の方が一般的だったようです。
外国にも肩こりという表現はないと聞いたことがあります。
しかし、外国人の肩が凝っていないかというとそうではありません。
デスクワークをしている方ならもれなく、肩の筋肉がカチコチです。
肩こりと認識していないだけで、間違いなく肩のコリは存在しています。
言葉は認識をするための道具です。
人は認識をすることで、自覚をします。
例えば、最近ゴルフを始めた人が、街中には意外とゴルフショップが多いことに気付いた。
これなどは、今まで目に入らなかったものが意識して気付くようになったという典型でしょう。
私は目に見えない世界が存在すると思っています。
実際に、目には見えないだけで肉体以外の体を持っていることを、私は自分の手を通じて感じています。
そしてこれは、誰しもが感じられるものであると私は信じています。
世の中には不思議なことがあちらこちらで起きています。
しかし、非科学的なことは認めないという姿勢なら、一生をかけてもそれを理解することはないでしょう。
認識をしなければ、自覚をすることもできないからです。
逆に、認識をしてそれを疑うことさえしなければ、不思議な世界への扉はいつでも開いています。
そして、不思議なことは不思議ではなく、それを認識しているか否か。
信じていれば、誰だって魔法を使う準備は整っているのです。

