移植手術の成功に思う
子を救うため…父の右肺・母の左肺・祖父の肝臓の同時移植手術に成功 両親「一筋の光になれば」京都大病院
京都大学医学部附属病院は4日、難病に苦しむ10歳未満の男児に対して、父親と母親から肺を、祖父から肝臓を移植する「生体肺肝同時移植手術」を世界で初めて実施し、成功したと発表した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ed9e52f0f9f203436f69cca826d438003c30514b
患者は関東地区に住む10歳未満の男児で、皮膚、粘膜、神経系、肺、肝臓など全身の臓器の異常などをともなう先天性疾患である「先天性角化不全症」の患者だという。
臓器提供者は40歳代の父と母、60歳代の祖父で、父は右肺の一部、母や左肺の一部、祖父は肝臓の一部を提供した。
先天性角化不全症(DC)とは、先天性の遺伝子疾患です。
テロメアは細胞の寿命をコントロールする組織ですが、患者にはその遺伝子が変異が見られます。
DC患者は、このために骨髄が血液細胞を十分に生成できません。
貧血、感染症、出血のリスクが高くなり、皮膚も薄く壊れやすいため、爪にも変形が見られます。
爪形成不全、口内白斑、皮膚萎縮、再生不良性貧血が典型的な症状です。
その他、肺障害、肝障害、骨格異常、脱毛、精神発達遅滞も合併症として認められます。
この患者も、肺や肝臓に障害が出てしまっていたのでしょう。
今回はDCの根本的な治療というよりも、合併症による臓器障害改善のためのものだったのでしょう。
手術後に男児は、呼吸が楽になって驚いたと話していたことから、相当に苦しかったのでしょう。
本当に手術が成功して良かったなと思います。
しかし、個人的には納得のいっていない部分もあります。
人間は機械と同じように故障したパーツを交換すれば、それで良いのでしょうか?
私は施術を通して、人体はひとつながりであることを確信しています。
悪い部分は良い部分と交換してつないでしまえばそれで良いとは、決して思えないのです。
手術が成功しても、今後男児は、免疫抑制剤なしでは生活できないでしょう。
また、健常者と同じような日常は送れるのでしょうか。
手術による肉体的な負担も無視はできません。
私も子供を持つ親なので、子供が苦しむ姿を見るのは心が痛みます。
医者から移植の手段を提示され、これにすがるしかなかったという気持ちもよく分かります。
子どものためなら、自分の臓器を差し出すことにも抵抗は感じません。
しかし、臓器移植という手段には、それでも納得がいきません。
私は、すべての病気には意味があると考えています。
病気は、自分を見つめるために起こる出来事であり、己の人生を考えるために出現しています。
なぜ男児は弱い身体で生まれてしまったのか。
それは不幸なことではなく、男児自身がそうあるべきことを自分で選んだからです。
それを抱えて学ぶことが今回の目的であり、それを理解するための課題だったのでしょう。
手術をしないことが選択肢として正しいかは分かりません。
手術をして生きるという経験も、またそれは一つの学びだからです。
真の治癒とは、自己の意識の変化によってこそもたらされるものです。
しかし、切った貼ったの受動的な移植手術では、ドナーは常に受け身の意識です。
体も、短期的には変わるかもしれませんが、長期的には本当に良くなっていくのでしょうか。
人間の尺度で考えると、若くして亡くなるのはとても悲しいことです。
しかし、死は誰しも通る道であり、大きな目線では早いか遅いかだけの違いです。
命は大事ですが、その一方で私たちは平気でゴキブリを殺したりもします。
死期を悟った人間が、急に達観したような心持ちになるのはなぜなのでしょう。
私は、命ではなく、学びにこそ価値があるような気がするのです。

