不自然かもしれない

解剖学者・養老孟司が到達した「なるようになる」という考え 
「人間にはそこまで全てを読み切れない」

〈一部抜粋〉
養老:うん、なるようになるしかないので、しょうがないんですよ。
一切無理しないという裏があるんですけどね。
「なせばなる」というのは無理しているんですよ。
何とかしようとするんだから。そういうのを僕は悪あがきって言うんですけどね。

じゃがいもは畑で放っておけば、勝手に育つんだよ。
だけど、人はどうするかっていうと、一生懸命に穴を掘って育てるでしょう。
額に汗して働くわけです。そうすると「俺が育てた」って言えるからね。
人はきっとそれが好きなんだろうね。
しかし私はね、額に汗して働くということには、ずっと疑いを持っているんです。
まあ人間社会ではともかく、特に自然を相手にするときはね。

自然の出来事に対して、一生懸命汗を流してやってみても、結果は対して変わらないんじゃないか。
医学部にいたから、特にそう思うのかもしれない。
医学部は人の体、つまり自然を扱う。
医者は絶えず何かをしようとするんですよ。
薬を出したり、注射したり、手術したりとかね。
本当にそれがいいことかどうか、誰にもわからないんだよ。
今の医学はそういう風に頑張るから、あまり好きじゃないね。

https://realsound.jp/book/2023/12/post-1518119.html

極論をすれば、人は必ず死にます。
それを考えると、医療とは死に対して抵抗する手段です。
人間の時間軸で考えると長い時間ですが、宇宙のスケールではほとんど意味を成しません。

今は腕が身に付き、どんな症状でも変化を起こす自身はあります。
しかし、症状とは、出ていることの意味を本来は考えなければならないものです。
それを考えずにただ症状を変化させることは、果たして良いことなのでしょうか。

働き過ぎで身体が悲鳴を上げ、症状が出ている。
施術を受けて楽になったからといっても、働き過ぎればまた同じことの繰り返しです。
本当に症状の治癒を望むのであれば、必要なのは環境の改善を考えること。
不思議と、症状が重い人ほど手放そうとせず、なんとかしてすがりつこうとします。
症状はもはや悩みではなく、大事なものであるかのようです。

それでも、生きていく以上は抗う必要があるのでしょう。
また、抗うために努力するのも人間という生き物の性(さが)なのでしょう。

私は、体を機械のように考える現代医学は好きではありません。
しかし施術も、本質的には自然に反する行為のようにも思え、なんだか最近は悩んでしまっています。