読書録 vol.7
チ。‐地球の運動について‐ 魚豊
中世のヨーロッパにおいて、キリスト教の教えは絶対的なものであった。
それはキリスト教の組織制度が、国の統治に大変有用だったからである。
この時代の支配者層は、教義を都合よく解釈し、権力の道具として利用していた。
支配するためには、人民に考えさせてはいけない。
いくらそれが正しく・事実であろうとも、教えに背く存在は邪魔な危険因子である。
そういった存在は、魔女狩り、異端尋問と徹底的に排除していったのが、かの時代である。
この話は、そんな時代に生まれた地動説に、スポットライトを当てている。
当時、自然現象はすべて神が起こす奇跡であった。
その教えの中では、神の存在を否定する科学は、決して相いれない存在である。
それでも、この世の真理に近づきたいがために、危険を冒し研究を続けた数多くの賢人たちがいる。
そんな多くの犠牲と貢献の上に、現在の我々の生活は成立している。
現代では天動説を信じているものは誰もいない。
地球が太陽を中心に動いているのは、小学生でも知っている事柄である。
しかし、知識として得る機会がないと考えた場合、果たしてこのような気づきは得られたであろうか?
私の場合、間違いなく地球が宇宙の中心だと信じ、一生を終えたことだろう。
当たり前のことでも、当たり前ではない。
過去の積み重ねによって今がある。
学びたくても学べなかった者も大勢いる。
文字の読み書きすら、特別なスキルだった時代があるのだ。
決して学ぶことの有難さを忘れてはいけない。
本筋からはかけ離れた感想ではあるが、自分のやる気に火が付いた一冊である。

