思考の三原則

安岡正篤

第一に、目先に捉われず、長い目で見る
第二に、物事の一面には捉われず、多面的、全面的に見る
第三に、枝葉末節に捉われず、根本的に考える

活眼活学からの引用

それは第一に、ものを目先で見るのと、長い目で見るのと両方あるということ。
目先で見るのと、長い目で見るのと、非常に違う。
どうかすると結論が逆になる。ある人は非常に長い目で見る議論をしておる。
ある者は目先で見る議論をしておる。これでは話が合いっこないですね。
しかし我々は目先ももとより大事であるけれども、原則としては、やはりできるだけ長い目でものを見るということを尊重しなければならない。
目先を考えるということは、うまくやったつもりでも、大抵の場合じきに行き詰まる。
物を目先で考えないで、長い目でみるということ、これを一つの原則として、我々は心得ておかなければならん。 

その次に、物を一面的に見る方と、多面的あるいは全面的に見る方とがある。
これもよく心得ておかなければならん。
物を一面的に見るのと、多面的あるいは全面的に守るのとでは、全然逆になることがある。
どんな物だって一面だけ見れば必ず良いところがある。と同時に必ず悪いところがある。
そして結論は出ない。ある者はあれはいい人だという。ある人は彼奴はいかんという。
一面だけ見ておると結論は出ない。
これを多面的に見れば見るほど、その人間がよく分かってくる。
いわんや全面的に見ることができればはっきりと結論が出る。

第三には、物を枝葉末節で見るのと、根本的に見るのとの違い。
枝葉末節に捉われる場合と、根本的に深く掘り下げて考える場合、往往にして結果が正反対にもなる。
しかしこれもまた同じことで、枝葉末節で見たのではする分かるようであっても、実は混乱するばかり、矛盾するばかり、やはりできるだけ根本に帰って見れば見るほど、物の真を把握することができる。

『論語』に「本立って道生ず」というておる。
孟子もまた「まず大なるものを立つ」と言うておるが、難しければ難しいほど、根本的に掘り下げて考えるということを心掛けなければならん。