色々な事情があるにせよ
ALS嘱託殺人 患者女性の依頼を受け薬物で殺害した罪 元医師の男に懲役6年求刑 京都地裁
全身の筋肉が衰える難病・ALSを患う女性の依頼を受け、
https://news.yahoo.co.jp/articles/aec4c1873cf0bf787013d7e7d8ac4056128f7d18
薬物で殺害した罪などに問われている元医師の男の裁判で、検察は懲役6年を求刑しました。
元医師は、これまでの裁判で、
「嘱託殺人について共謀もしていませんし、もちろん実行もしていません」と起訴内容を否認しています。
起訴状などによりますと、元医師の山本直樹被告は、2019年、知人の医師・大久保愉一被告とともに、全身の筋肉が衰える難病、ALSを患う林優里さんから依頼を受け、京都市内の林さんの自宅で薬物を投与し殺害した罪などに問われています。
日本でも安楽死に対する議論が高まっています。
果たして、安楽死とは自殺ほう助ではないのか?
非常に難しい議論です。
私も、先日夜中に放送していた安楽死のドキュメンタリーを見て、思うところがありました。
自分の中では、結局、形の問題であり、自殺となんら変わりはないなという印象です。
番組では、実際の安楽死の現場がそのまま放送されていました。
安楽死は、点滴で、体内に薬液を注入することで命を絶ちます。
そして、そのスイッチをいれるのは自分の手によってです。
さっきまで生きていた人が、その数分後には、目の光が消えてもう物になっている。
地上波の番組にしては、なかなかショッキングな内容でした。
番組で紹介されていた人たちの多くは、病気や老いを苦にしていました。
今後、病気は良くなることがないだけでなく、もっとひどくなっていく。
だから、まだ自分で決断できるうちに自分で死を決断したい。
それが彼らが安楽死を希望する理由です。
安楽死は人間の尊厳を尊重した死に方だと言います。
難病や老いで当たり前の日常を送ることが困難になってしまう前に、自分で人間らしく死を迎えたい。
しかし、なぜ安楽死なのか。
他の自殺では何がいけないのか。
苦痛を伴わない死が人間の尊厳なのか。
私にはその差が分かりませんでした。
生きるとは本来、苦しいことです。
生まれた瞬間から人間は死に向かって歩き出し、苦しみが始まります。
それでは、その環境で私たちが生きる意味とは何なのでしょうか。
それは、肉体を通して体験することにあり、すべては魂を進化させるための学びです。
病気の意味は、病気からしか学べないことを経験するためです。
そして、なぜ病気になってしまったのか、それを自分と向き合って考えることにも意味があります。
ただ目の前の苦痛から逃れるためだけの安楽死に、一体何の意味があるのでしょう。
それは本当に、人間の尊厳を保つために必要な、尊い行いなのでしょうか。
もちろん私は何の苦痛もない立場で言っているので、反発を覚える方も居るでしょう。
しかし、生きることにおいての哲学をなくして、人生を語ることは出来ません。
番組では88歳の老婆が安楽死する場面が放送されていましたが、私はその選択に悲しくなりました。
人はなぜ生きるのか。
奇しくも、宮崎駿の夏に公開された映画も同じタイトルです。
逆に言えば、生きることを考えていない人が多いがために、宮崎氏はこれを世に問うたのかもしれません。
答えは人それぞれであり、私の答えも正解ではありません。
しかし、私は少なくてもその生き様に、安楽死という選択を認めたくはありません。
生きて生きて、少しでも己を高めるべく、あがくための人生。
あがくからこそ、その人生が価値を持つのです。
どうせ死ぬのに、なぜ自ら死を選ぶ必要があるのか。
結局は自分のすべきことが見えていないから安易な選択をしてしまうのでしょう。
スピリチュアルとは決してオカルトの類ではなく、人生の意味を考えるためのツールです。
肉体は滅んだとしても、決して魂が死ぬわけではありません。
人はもっと、生きるためにスピリチュアルを学ぶべきなのです。

